もうすぐ、ひな祭りですね。
19歳になる娘が、隣町で一人暮らしをはじめてしまったので、わが家は今年はひな人形はかざっていません。
ただ、いつも、この時期になると、わが家のひな人形のふしぎなめぐりあわせを、思い返すんです。
20年以上ねむっていた、妻のひな人形
わたしは現在、信州は八ケ岳山ろく、標高1200メートルの山の中に住んでいるんですが、出身地は、埼玉県春日部市です。
春日部市のとなり、さいたま市岩槻区は、ふるくから人形の街として、栄えてきました。
東武野田線、岩槻駅の目の前に、人形の老舗、
の、本店があります。わたしは、24歳くらいまで、東武野田線界隈でワニワニしていましたので、土地勘のあるところです。
一方、わたしの妻は、長野県茅野市出身です。
山で出会って、一緒になりました。
妻は、幼いころに母親を病気で亡くし、父親も失踪してしまい、兄とふたり、祖父母に育てられて、母親の記憶はほとんどないといいます。
こどものころは、さみしい思いもたくさんしてきたはずです。
そんな妻と結婚し、わたしは、貧しくても幸せな家庭を築きたいと心に誓っての、結婚生活のスタートでした。
おかげさまで、3人の子宝にも恵まれ、長男、長女、次男と、バランスよく(笑)育てさせていただいています。
長女が生まれてしばらくしたころのことです。
妻の兄が、
「お前のひな人形が見つかったぞ、すぐにとりに行こう」
といって、荒れ地に放置された、トラックのコンテナに一緒にとりに行ったのです。
妻よりも、ひな人形の記憶があった、妻の兄が見つけてくれたのです。
コンテナの中には、さまざまな家財道具と、
東玉
の、ひな人形のおおきな段ボールが、2つ入っていたんです。
ひな人形は、きれいに待ってくれていました
保育園にかよう娘とひな人形。ちょうど妻が保育園のころ、妻の母は亡くなってしまいました。
さて、段ボールに入っていたひな人形。
おそるおそるあけてみると、ネズミなどに荒らされることもなく、とてもきれいな状態で保管されていました。
妻の母は、3月に亡くなったので、この人形を大事に梱包してから(ガンでした)旅立っていったのかもしれません。
ひな壇はなかったんですが、人形の数とその飾りから、
7段飾り
の、セットのようでした。
当時の借家では、大きすぎて全部飾れなかったんです。
山に引っ越して最初の3月、岩槻区でまだ働いていたわたしの母に、ひな壇を送ってもらい、やっと全部を飾ることができたんです。
飾りを見た妻は、子供のころの記憶がフラッシュバックしたようで、飾りのタンスでおままごとをして、母に怒られた記憶がよみがえってきて、涙があふれてきました。
埼玉から長野に来て25年、さらに20年がたとうとしています
娘が小学6年生のころ、合気道のけいこが終わって、弟と一緒に。2013年のひな祭りに。
娘は現在、19歳ですから、ひな人形が見つかってからもうすぐ20年です。
妻は、25歳のころに娘を生んでいますので、ひな人形は45年前、妻が生まれたころに埼玉から長野にやってきたんです。
(わたしは、ひな祭りイブに生まれましたので、埼玉で5歳の誕生日を祝っていたのかもしれません。)
わたしより、20年も前に埼玉から信州にやってきたひな人形。大先輩です。
これからも大事にして、後世まで受け継いでいけば、天国のおばあちゃんも、喜んでくれると思うんです。
ちなみに娘、合気道は、
黒帯
です。つおいんです。
コメント
hayasaruさんのお人柄が伝わってきて、ほのぼのとした気持ちになりました。
>飾りを見た妻は...
のくだりは、読んでいて胸が熱くなりました。
そして、ここにも合気道経験者が居たことに驚きを隠せません(笑)。
合気道は近くに道場があり、ここの先生には子供たち3人とも大変お世話になったんです。
心・技・体ともに、合気道が鍛えてくれました。