山岳部に入部した次男が【新人歓迎登山】に行ってきた

登山部に入部田舎暮らし
登山部に入部

工業高校に入学した次男が山岳部に入部し、

新人歓迎登山

で、北横岳に行ってきました。

中学校の八ケ岳登山がコロナで中止

次男の初登山

次男は、小さいころから登山が好きなわけではありませんでした。

小学校3年生の夏休み、私が蓼科山に連れて行っただけです。

参考記事>>子供と蓼科山の夏山登山 小学3年生でも日帰りで行けたよ

茅野市の中学校では、1泊2日で

八ケ岳登山

が行われるのですが、次男が通った時期に、コロナウィルスが猛威を振るい始め、ほとんどの行事が中止となった中学校生活でした。

この、学校登山。

時期が梅雨時期とかぶって開催されるため、長男、長女の時には天候があまり良くなかったと記憶しています。

このためかもしれませんが、八ケ岳のふもとの子供たちは、

登山が大っ嫌い(笑)

な子供も多く、私が山小屋で働いていた時にも、若い子で登山をするのは、

都会の子

が多かったように思います。

蓼科山の登山道
蓼科山の登山道

次男の場合、この学校登山が無かったためかはわかりませんが、登山に憧れがあったのでしょうか。

自分の時を思い出しました

キスリングを背負う山岳部員

実は私自身も工業高校の出身で、山岳部(ワンダーフォーゲル部)でした。

古い写真はおそらく女峰山の登山で、次男が背負っていったようなアタックザックではなく、

キスリング

という、黄色い幌布でできた巨大な、

100リットル以上

のザックを背負って、山登りをしていました。

埼玉の春日部市の学校からは、栃木県の日光市の山が交通の便が良く、毎月のように通ったものです。

キスリングには、背負いベルトが付いているのみで、現在のザックのようにヒップベルトなどもついていませんし、

人間工学まるっきり無視

のザックでした。

新入生は1年間、このザックで肩を鍛え、足腰を鍛え、2年生からは自分の

アタックザック

が許されるような、割と軍隊のような部活だったのです。

アタックザックを背負って山スキー
アタックザックを背負って山スキー

ザックを背負って山スキー。

ニッカーボッカーに、ウールのカッターシャツのスタイルも、現在の登山ではほとんど見かけませんね。

現在の登山部では、冬はスノボーらしいです・・

新人歓迎登山、新人は1人(笑)

北横岳はまだ雪多し

北横岳に行った次男から、LINEで写真が送られてきました。

前を歩く先輩と、自分の登山靴の写真(これだけ?)

スカルパの登山靴は私のもので、サイズも一緒。親子だから似ていますね。

モンベルのザックやカッパなどは上の子の時に買ってあったもの。

昨日、長男が働いている某大手スポーツ店で、コロンビアのアウターとか、たくさん散財してそろえてきました。

新人歓迎登山、新人はうちの次男のみ。

やっぱり、諏訪地域での若者の登山、あんまり人気はなさそうです。

それでも、約半日のスノートレッキングと山の上でのお湯沸かし(昼食のカップラーメン)

とても楽しかった

そうです。

どうも、現代の山岳部は、

軍隊のような

ところでは無いようで、親としては、ほっとしています。

こちらもおすすめ>>醤油樽の滝 沢登り覚悟で絶景に! 八ケ岳の滝その2

コメント

  1. toki より:

    キスリングとは懐かしい。
    私も都立高校で山岳部に入りキスリングを背負って鍛えられました。
    中学3年の2月に盲腸から腹膜炎を併発して3回の手術。
    高校受験も出来ず中学浪人。
    翌年、高校入学して体を鍛えようと山岳部入りを表明、両親はその体でと大反対でしたが強行。
    南ア、八ヶ岳を主に関東近辺の山行。
    一番の思い出は2年生の時に南ア全山縦走で出会ったのは大学山岳部だけで高校以上の厳しさを眼にしました。
    靴は朝鮮戦争で米軍兵士が履いていた軍靴と2人くらい入れる大きなシラフ、70年近く前の懐かしい思い出、今は白樺湖近くの山荘で蓼科山を眺めるだけです。

    • hayasaruhayasaru より:

      tokiさん
      キスリングは別名【底なしの口】と呼ばれ恐れられていました(笑)
      それにしても南アルプスの全山縦走はすごいですね。
      わたしは北岳の頂上直下で高山病を発症し、そのままエスケープした苦い思い出があります。

山暮らし始めよう
タイトルとURLをコピーしました